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命日(2月19日) VOL.7 – NO.497

平成11年2月19日に父(先代社長)が亡くなった。

あれから21年の歳月が流れた。亡くなったのは金曜日であったので、日曜日に通夜を自宅で行い、月曜日に葬儀を行った。自宅から出棺して火葬場に母と霊柩車に乗って安西橋を右に曲がって、土手から見た富士山は青空の下 真っ白な雪を被っていた姿は、21年経った今でも鮮明に脳裏に残っている。

墓所(東本願寺静岡別院)

火葬後、家から50m程の東本願寺別院で葬儀を行った。

20年も経つと色々な変化がある。僕 ダボ・イトウはまだ40歳台の年齢であった。髪の毛もふさふさしていて、「斗酒あえて辞せず」の乱暴な生活であった。20年も経つと髪は無くなり酒は飲まなくなり、霊柩車に一緒に乗った母も今ではこの世に居ない。(平成18年11月2日 没)

母の出棺(自宅)

几帳面だった父(先代社長)

自宅で通夜・出棺と書いたが、ここ10年程は自宅での通夜弔問に行った事はない。ほとんど葬祭会館での通夜が多くなり、又 告別式よりも通夜の出席が多くなっている。風習は時代と共に変わる。(精進料理に刺身や肉が出る!)

 

父(伊藤 勲 大日本帝国時代)

父は無口で几帳面な人で、とても丁寧に物事を進める人であった。

好きだった鮎釣りの仕掛けが今でも残っているが、全て同じ形・同じサイズで作っていた。

19日は病院・20日は役所の調査で少し遅くなってしまったが、2月21日に父の墓に花を飾りに行った。何時も帰る時、掲示板に掲げてある今月の言葉を読む。正しく父が常に僕に言っていた言葉だった。

 

「均!! 雑だぞ!!」の声が聞こえる。

 

 

 

 

 

       記 ダボ・イトウ

 

 

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