今日11月24日は、勤労感謝の日です。
この日の由来は、その年に、収穫された新米を、神様に供え、収穫に感謝する「新嘗祭」です。
宮中では、天皇陛下が、自ら育てた米を奉り、又、召し上がる儀式から、国民は勤労に感謝する事とし、昭和22年に「新嘗祭」から「勤労感謝の日」に名前を変えている。(※この時、「勤労」か「労働」か?との2案が有ったと言われている。)
失われた35年と言われている現在になってしまっている。
1990年頃、日本経済は、最高潮であった。
「24時間戦えますか‼︎」なんてCMが流れていて、頑張る!負けない!一番!と言うフレーズが、当たり前の社会でした。
(※「2番では駄目ですか?」と、某政治家が聞いたが、矢張、2番を目指しては伸びない。)
この当時、「アメリカの労働者は、終了ベルが鳴ると次の工程の為に振り上げていたハンマーを打たずに仕事を終える」と、真しやかに話をする程、日本人は、ナンバー1だと驕りたかぶっていた。
その様な一番のおごりは、兎と亀の様な結果になってしまった。
30年前を振り返ってみると、我が社では、先代社長(伊藤勲)が健在で、経理の仕事を朝早くから定時まで、行っていてくれた。
当時ダボは、社長の下、外廻りと工場現場と忙しい毎日でした。
外廻りしてくると、必ず受注を持って帰って来社し、工場で紙を積んだり、荷物をトラックで運んだりしないと、お客様要望(納期)に間に合わなかった。
弊社は、パッケージ中心の印刷会社で、贈答用の紙器の製造を主力としている。
当時、お中元やお歳暮を、会社間で贈る事は当たり前の礼であったので、この習慣は非常に大きく仕事を与えてくれた。
それなので、9月に入ってから第一週目から、残業を始めるか?第二週から始めるか?と言う事で、この時期の忙しさは、全く変わってしまう程の仕事が有った。
従って、この当時、「勤労感謝の日」は「勤労に感謝して、働く日だ」と、休日にしないで、働く事が当たり前でした。
※この後、このお歳暮、お中元の習慣は少なくなり、パッケージ需要は落ちたが、これをカバーしたのが「仏事ギフト」でした。しかし、この分野も、コロナ禍で風習が変わり、様変わりしてしまった。現在は、パーソナルギフト用の「かみ缶」が弊社の中心となっている。
先月、高市早苗氏が首相に任命された時、会見で「これからは、ワークライフバランス(WLB)を捨てて、働いて!働いて!働く!内閣を行って参ります」と述べたが、ダボは、この言葉は国民に、又、社会に対するメッセージと捉えた。
短時間の労働、長時間の休暇は、誰も否定する人は居ない。
しかし、労働は生産、付加価値の創造です。
これをなくして、なかなか豊かになれない。
ドライバーさんの2024年問題は、稼を落とし、ダブルワークが必要となっている社会を作ってしまった。
果たして正解であったか?
過労は至極問題です。
でも、発明や発見等で付加価値が生み出せないダボは、老体に鞭を打って働こう!
(最近は、50代の時、平気で持っていた紙を半分しか持てない筋力に落ちている)
追記:
最近はパワーの衰えをカバーする色々な商品が出ている。
記 ダボ・イトウ














