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氏子 Vol.12-787

葵区本通2丁目に、ダボは住んでいる。

ここに、鎮守の森(?)ではないが、住民の安寧を祈る「八朔神社」が鎮座なされている。

駿河風土記に安永7(1779)年に『信州・田中島より神来る』と記されている。

八朔神社の名前の由来は、はっきりとは解らないが、八朔と名前の通り、8月の朔日に祭典日である。

現在は太陽暦なので、8月1日が朔日(ついたち)という事であるが、月の満ち欠けは関係なくなっている。

ちなみに、令和7年8月1日は、月齢7で、上弦の月です。

明治5年(1873年)に、太陽暦が採用されるまでは、真っ暗で、月の出ない祭礼日であったと思う。

この神社の伝統的な儀式に、「迎神の儀」が伝わっている。

普段は、葵区東町のJR線路際の、春日町防災倉庫の処に居らして、前日の7月31日に神様をお迎えに行き、神社にお連れする。

迎神の儀

8月1日の大例祭には氏子一同が神社に集り、別雷神社の苦竹宮司に祝詞を奉じて戴き、大祭を行う。

この時、氏子が集まる訳であるが、町内自治会メンバーが氏子らしい。(氏子名簿は無い)


本通2丁目は、一般住宅が少なくなり、マンションがここ10年程で、多く建築され、住民が増えている。

然し乍ら、マンションの町内会加入は、建物ごとで町費を戴いているので、各マンションの住民は、自治会にも、この八朔神社の祭礼にも参加する人は居ない。

(マンションの住民には、掲示板紹介だけなので、足が遠い。)


江戸時代の古典落語の話を聞いていると、「熊さん、八ちゃん」が借家住民なのに、皆で神輿を担ぐ話が出て来る。

八朔神社の祭礼は、神道的な「祝詞奉上」とか「お祓い」等、一応神道的な儀式を行うが、住民の安寧を祈る鎮守の杜的な存在である。(宗教的な意味合いはほとんど無い。)

この神社を一つの鍵として、短期的住民であろうと、長期的住民であろうと、親睦・融和的な地域を作りたいと思っている。

家族の次に集まるのは、向こう3軒両隣です。

賃貸住民の方も、積極的にご参加下さい。

何十年か経った時、⚪︎⚪︎才の時、本通2丁目に住んでいて、「住み易い処だったなあ」と思い出せる環境の本通2丁目を作ってゆくのが、僕ら世代の責任と思っている。。

 

 

      記 ダボ・イトウ

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