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難民 VOL.8 – NO.582

アフガニスタン情勢が混沌としている。アメリカ軍の撤退とアフガン政府軍の早い投降がより一層アルカイダの侵攻に拍車をかけた。このため多くの前政権民間協力者たちの国外脱出が困難を極めている。

アフガニスタン

タリバン政権奪取(銃を持っての会見)

カブールに駐屯していたアメリカ軍、多国籍軍は空港にいち早く撤退(逃げて?)して「空港までたどり着いたら保護する」との方針だが、空港までの道はアルカイダの検問が立っていて、空港まで行くことがもっと危険という事になっている。この作戦は8月31日で終了してしまった。

市中を見廻るタリバン戦闘兵

8月25日には空港付近で自爆テロも発生して数十名の命が奪われた。そのため空港まで辿り着けず、避難を求める人達の「密」はコロナ禍の時代、驚く。でもコロナ感染よりタリバンの恐怖の方が、リスクが大きいという事だろう。そんな意味で考えると、自分たちの考えが「あたり前」なんて幻想でないかと思う。

平和的解決できればそれが一番である。某政党の論によれば、平和的に説明をして交渉すればアフガンの脱出を希望する人達が空港まで自由に行く事が出来るという事になるが、果たしてそうなるか?

 

76年前、これと同じ様な事が日本人にも身近に起きた。ソビエト軍が不可侵条約を破って、満州で終戦まであと一週間という時になだれ込んできた。時の関東軍司令部(山田乙三大将)は通化に転進と称して移動。日本在留邦人は守ってくれるべき軍隊よりも前線に置き去りにされた。(山田乙三大将は、その後11年間シベリアに抑留された。)

ソビエト軍の侵攻

山田関東軍司令長官閣下

この時の邦人の苦しみは、生き残った体験者の口からは語られることが少ないので、歴史の中に埋没してしまっている。正しくアフガン情勢と同じである。

 

 

父親 伊藤勲

僕(ダボ)の父親は関東軍将校であったが、それこそ逃げた訳でなく、昭和20年5月に南方戦線の為、内地に戻り、南方行きの船舶を待っていたが、用意できずうちに四国高知で終戦を迎えた。父がよく話していた言葉は「軍隊は運隊」常に『先の事は解らないぞ』との人生訓であった。

今の自衛隊の人達は立派である。銃の使用にも制限が与えられている状態で混乱のアフガニスタンに前へ出て行く。転進と言って、前線から遠くなるのではなく、前に出たのだ。これからダボの時代は終わって、次世代は何時難民が押し寄せたり、日本人が難民になってしまうかも知れない時代に入っている。
※ 外務省職員は17日転進を完了せり!!

将来の出来事を解る人は居ない。

しかしダボは解る。

「そのうち遠くない将来、ダボは死ぬ」

コロナ感染時ですので、生前葬は行いません。
香典はPAYPAYで送って戴いて結構です。

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

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