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K子さん VOL.6 – NO.487

地図(当時 約50年前)

K子さん』と今回のブログの書き出しです。

K子さんと言うと、非常に想い出がある。20代の時に付き合っていたK子さん。中学生の時に一級後輩で同じクラブ活動であったK子さん。高校時代 大変お世話になったK子さん。何故この『K子さん』という言葉を想い出したのか?

今年9月25日のブログ『弁当 VOL.6 – NO.474(http://www.daiichi-printing.com/blog/09/6575/)』で高校時代の早弁の事を書いた。

 

つまり母親が毎日 朝、井川メンパに入れて弁当を作ってくれた。昼食の弁当を、一時限目が終ると即 食べてしまう、つまり「早弁」と言う様な内容であった。

井川メンパ

では昼はどうしていたか?と言うと、又 パンやフライを買って食べていたのである。その後はバスケットボール磨き!
(当時は下級生の義務だった。※ 磨き方は今考えると常識的でないので書かない。)

青春の想い出(バスケットボール)

何故『K子さん』と結びつくのか?
一週間程前、フェイスブックの「懐かしき静岡の風景」というグループに、高校の時 一年先輩のO氏が地図を掲載していた。

その中に当時の静高生なら必ず世話になった「一富士」さんと「田中屋」さんが赤字で記してあった。当時を大変 想い出して、それこそ「懐かしい静岡の風景」が脳裏に浮かんできた。一富士は「焼そば」「ラーメン」「ハンタジュース」(※ アンタではない)、田中屋は「フライ」「パン」「牛乳」等を昼に売りに来ていた。牛乳は空ビンを10本集めると1本貰える様な仕組みがあった。9本溜めておいたビンが翌日無くなっていた経験が何度とある。おそらくYの仕業でないか?と思っているが確証はない!

この昼、フライを売りに来てくれた女性が「K子さん」であった。高校3年生の時、1才年下で静高の定時制で学んでいた。そんな事で高校3年生の時、一寸 付き合っていたのである。昼の販売時には学生たちが小さな販売台に群がり争奪戦が行われるが、「K子さん」が僕の分は台の下に何時も取っておいてくれた事を想い出した。彼女とはオリオン座で上映されていた007シリーズ「サンダーボール作戦」を一緒に観に行った。帰りに駒形の「辰●屋」に寄った。

 

ある時、昼の販売メニューの希望をクラスで募ったことがあった。ダボは「アイスクリーム」と言ったら、S教諭が「伊藤!! アイスはおかずではないぞ!!」と叱られた事を想い出した。「K子さん」も今では70歳手前の女性になっている筈である。群れの中で料金を払わぬ人を知っているが「口を払う」(http://www.daiichi-printing.com/blog/12/6922/

 

追記
長谷通りに有った「エビスヤパン」さん(別名サーポン)、体育館の東側に有ったオデン屋(名前は失念)にも大変お世話になった。オデン屋さんは後払いが出来て、兄貴が清算に行ってくれた事も想い出だ!!

一富士の現在(休業中)

 

エビスヤパン屋さん(廃業してしまった)

田中屋はこの辺りにあった

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

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