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零戦

大日本帝国海軍機「零式艦上戦闘機52型」

土曜日(5月23日)、東京から兄と友人のK氏が来て静岡カントリー島田コースでプレーする予定だったが、K氏の体調が若干悪く、中止になった。

行動予定は、以前ブログ『通信』(http://www.daiichi-printing.com/blog/03/2304/)で書いた様に、前日は大村バーで夕食、翌朝は朝一番(AM5:30頃)に父と母のお墓(東本願寺別院)に寄って、東名で島田まで行き、インターチェンジを降りたすぐの処にある『ラーメンショップ』(もう15年以上通っている)でネギラーメンを食べて、7:00(IN)のトップスタートの予定だった。

K氏とは、もう7〜8年、プレーをして戴いている。

頭の、素晴らしく良い家系で、ご本人は上智大卒、娘さんは早稲田大学の大学院卒、息子さんは東京大学法学部に在籍している。

K氏は静岡に来ると、何時もうちに泊り、朝起きると直ぐに腕立て伏せや前屈運動等、必ず体を鍛える。

文武両道だ。

この方のお父様が凄い。

海軍兵学校出身の士官で、零戦のパイロットで、航空母艦「加賀」に乗っていて、ミッドウェー海戦の生き残り。

今でも鹿児島でお元気で居らっしゃる。

大日本国海軍航空母艦「加賀」

 

海軍兵学校は、それこそ東京帝国大学より難しいと言われている。

学問は勿論だが、運動神経と胆力が求められる。

大勢の部下(年上の人も)の命に、若くしても責任を持たねばならない。

お会いした事は無いけれど、お元気なうちにミッドウェー海戦の話を聞いてみたい。

(ちなみに、ミッドウェー島第一次攻略作戦の後、戻ったら母艦は沈没していて、洋上着水して、海の中に9時間漂流しての生き残りの方だと聞く。)

 

零戦のパイロットとお聞きして、零戦が活躍していたのは75年も前の事だ。

75年前、機体中央から機銃を発射して、プロペラの間を通って撃つ。

全て機械式(電気信号)で、自分のプロペラに当らない。(当然だが)

この制御の技術が75年後の今の自分にとっては驚く。

GPSもない時に、あの大海原の中、米粒より小さい敵艦を求めて攻めて行く航法。

 

現代に生きている僕は「デジタルだ。デジタルだ。ビッグデータだ!」と、言っているが、何も解らない人間である。

頭の良い人はいるものだ。

悪い頭が、それでなくても近頃は物忘れが多くなり、困ったものだ。

 

「老兵は ただ 消え去るのみ」

(ダグラス・マッカーサー)

 

        記 ダボ・イトウ

One thought on “零戦

  1. ミッドウェーの生き残りなんて敬服しますね。 零戦もすごいけれど国産の潜水艦1号は大正元年に竣工してます。終戦時にアメリカ本土を爆撃予定の伊400号は当時世界最大で攻撃機を3機積んでました。70年前の日本人は素晴らしかったですね。

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