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転機(6月5日) VOL.6 – NO.458

兄(信さん)の知人にK氏が居る。

東京からのお客様 K氏

静岡で兄貴と一緒に、ゴルフに度々来ていた。
近頃、兄貴はゴルフを止めてしまったのでその機会がなくなってしまっている。
頭の良い家系はあるもので、K氏は鹿児島名門高校のR高校の出身である。娘さんはW大の理工卒、息子さんは最高学府のT大卒である。K氏のお父様は3年程前に亡くなったが、海軍兵学校の出身であった。当時、兵学校は陸軍士官学校と並んでT大より上位とされていた。(何故なら学力の上に体力も必要とされていた)このお父様は零戦のパイロットで航空母艦「加賀」に乗っていた。

 

零式艦上戦闘機(0戦)

 

大日本帝国海軍航空母艦『加賀』

空母 加賀は当初は戦艦として計画されたがワシントン軍縮条約の結果、補助艦艇空母として生き残った。加賀は当初3段甲板方式を採用していた。その後、一段甲板に改装された。

 

3段甲板(改装前)

 

飛行甲板の長さは約248メーター 幅は30.5メーター程あり甲板面積は7,000㎡(2,100坪以上)に及び零戦21機その他艦攻・艦爆合わせて72機を乗せていた。この加賀にK氏のお父様が零戦のパイロットとしてミッドウェー海戦に参戦した。
昭和17年の今日6月5日に空母「加賀」は米軍のドーントレス爆撃機の急襲を受け沈没。空母が沈んでしまったK氏のお父様は6時間の漂流の後、救助されて生き延びたと言う話を聞いた事がある。
このミッドウェー海戦では『加賀』の他、『赤城』『蒼龍』『飛龍』の4隻の主力艦空母を日本は失い、これが太平洋戦争の勝負の転機となったと言われる。陸上戦ではガタルカナル島の撤退(転進と称したが…)昭和18年2月が陸上戦転機と言われている。

 

ミッドウェー島 全景

この転機と言うのは後にならんと解らない。

一寸前に書いたブログ、「徳川慶喜」 VOL.6 – NO.444(http://www.daiichi-printing.com/blog/03/5682/)では死者(300万人以上と言われる)の90%以上は昭和19年以降と計算されているので、当時は敗戦と言う転機はみえてこなかった。後になって解る。

転機を広辞林で調べてみると「物事がかわるべき機会」と記してある。

最近の経済指標は悲観的であるが、これを不況への転機と考えるか?底を打って上昇への転機となるか?後にならんと解らないが、自分の人生も年齢ではない!まだまだ自信を持った時代が来るのだ!

転機は今日だ!これから「介護老人ホームのエロ親父」としての始まりだ!!

彼の人が言った『貴方なら大丈夫』と!!
彼の人はも言った『貴方は有資格者よ~』

補足 (ガタルカナル島での争奪戦となったヘンダーソン飛行場はミッドウェー海戦で戦死したヘンダーソン少佐の名前をつけた事で有名である。)

 

 

            記 ダボ・イトウ

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