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社会の木鐸

朝日新聞が、慰安婦問題の検証を、30年振りに行って、記事は間違いが有ったとの掲載をした。

その後、色々な反響が出ている。

週刊文春と新潮の広告を、先週号で断った。

今週号は一部を伏せて載せたとか。

池上彰氏の「新聞ななめ読み」のコラムの掲載を見送ったので、池上氏が連載中止をツイッターで話したら、今度は一転して昨日の朝日新聞に載っていた。

(この時の池上氏のコメント「許可しました」と言う言葉に少し違和感が有った。)

 

今朝の新聞で、丁度一年振りに学力テストの記事が載っていた。

昨年は本県が、小学6年生国語Aの成績が全国最下位になったとして、色々な事が起きた。

この件については、ブログを3回書いた。

1回目は「制度」(http://www.daiichi-printing.com/blog/08/1432/

2回目は「落とし処」(http://www.daiichi-printing.com/blog/09/1457/

3回目は「ご褒美」(http://www.daiichi-printing.com/blog/09/1464/

※この問題の流れを思い出す様、一度再読してみて下さい。

 

最初の「制度」で書いた時の話は、最下位になっても教育委員会の議題にものぼらなかった事は何故だろうと書いた。

その後、川勝知事が問題提起して今日に至っている。

 

「落とし処」では、下位の校長名でなく上位を発表したとの事を記した。

 

今日の「新聞記事によりますと」(何か、昔のワイドショーの文句)、

今年は上位校の校長名を静岡新聞では掲載見送るそうだ。

その重要性を今年は感じられないとの理由であった。

 

新聞社の報道って何だろう。

新聞は「社会の木鐸」なのか?

色々な謝罪会見で、新聞記者は厳しく追求する。

朝日新聞は社長の記者会見をしないと言う。

もう、あの4人〜5人並んで、

「申し訳ございませんでした」

と頭を、記者会見で、下げる様子はそろそろ止めたらどうだろう。

一寸違和感があると感じるのは、僕だけだろうか?

謝らない姿勢も問題だが、報道関係者の前で厳しい追求の後、頭を下げる様子は、新聞が「社会の木鐸」であると、記者達が思っているからであろう。

されば、朝日新聞も記者会見をして、産經新聞の厳しい質問に答えて欲しい。

       記 ダボ・イトウ

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