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台座 VOL.3 – NO.284

巽櫓

前回のこのブログで「東鶏冠山 二百三高地」陥落の話を書いたら、FacebookのフォロワーのN島さんからコメントを戴いたので、「この次は「軍神 橘中佐」の件を書きますよ」と返事をさせて戴いていた。

 

軍神 橘中佐

軍歌(唱歌)『遼陽(りょうよう)城頭(じょうとう)夜は闌(た)けて 
有明月(ありあけづき)の影すごく〜♪』

「首山堡を乗っ取れ」との命に、先頭に立ち、一歩も引かず壮烈なる戦死をした静岡三十四連隊の大隊長です。

 

文頭の写真は現在の駿府城公園の入口の東御門橋で、巽ヤグラが整備されている。

僕は、昭和39年丁度、東京オリンピックが開催された年に、この東御門橋の前に有る城内中学校に入学した。

城内中学の校章<3S>

城内中学校門

今から、50数年前の事です。

僕らの世代の前後の人は、「東京オリンピックの時は何歳だった?」と言う会話で歳が解るが、もう少し若い人だと、「大阪万博の時は何歳だった?」と言うらしいし、それ以上若い人は、「札幌オリンピックの時は何歳」と聞くらしい。

東京オリンピックの時、100Mを10秒フラットで走った「ボブ・ヘイズ」も、マラソンで3位に入った悲劇のランナー「円谷幸吉選手」も若い世代の人は、知らない。

サロメチールを「こめかみ」に塗って走った依田選手も全く知らない。

 

この中学時代、東御門橋を渡って公園に入ると、北側には銅像を取り除かれた橘中佐の台座が残っていた。

太平洋戦争が敗戦という事で終わり、それまでの価値観は一掃され、軍神「橘中佐」像も撤去され、三十四連隊の入営を見守った像も既に無くなっていた。

何時頃、銅像は無くなったのか?知らないが、今では、周辺は綺麗に整備され、誰も「橘中佐の銅像」の事など話す人はいない。

時代の流れは全てを消し去ってしまって、跡形もなく消え失せる。

時の流れなんてそんなものだろう。

 

明年1月18日に、中学時代の友人、Y田君と、K藤君と再開する約束をしてある。

人の気持ちの中や、時代の想い出は姿を見ることはないが、決して消ゆる事はない。

N島さんも「橘中佐」のことは知っているかなぁ?

中学3年生のダボ

 

         記 ダボ・イトウ

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