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27年 Vol.13-816

写真は、安倍川の土手の横の道路から撮った富士山です。

2月5日撮影

27年前(1999年 平成11年)の明後日(2月21日)に、この場所で見た富士山は、今でも鮮明に覚えている。

写真と同じ様に青空の下、雪の富士山が綺麗だった!

ダボ47才の時でした。

ダボ 47才の時(髪の毛が有って、まだ全体が白くない!)


この時、まだ母は健在で、母と霊柩車に乗って斎場に向かう途中でした。

今日(平成11年2月19日)、父(伊藤勲)が80才で、静岡市立病院で息を引き取った。(享年80才)

晩年3〜4年は、肺気腫で酸素ボンベを付け、苦しい生活が続いていたので、偲び難かった。

自宅の階段も登る事が難しくなり、簡易昇降席を設置した。

友人のH川君が設置してくれた。

(27年前も経つと、近頃はダボが使う様になるので、便利である)


父は、ダボと違い、規則正しい生活をする人でした。

お酒は好きで、日本酒を毎日必ず二合、飲んでいた。

たまには、少し多く飲みたいと思う事もあっただろうが、決して決して酒器(ちろり)一回しか入れなかった。

※ダボは、酒量を決めず、飲みたいだけ、飲めるだけ、のべつ幕なし飲んでいた。


肺気腫で辛い晩年であった。

肺気腫の発症は、喫煙が一つの原因と言われている。

真面目な性格な人だったので、生前父に、聞いた事がある。

「父さんみたいな人が、何故煙草を吸ったの?」

父が言った。

「俺は二十才になるまで、酒も煙草の習慣もなかった。軍隊で、支給されたので、何時しか習慣になってしまった。」


晩年、父の主治医、市立病院のH田医師が、ダボに言った。

「肺気腫は遺伝します。病気は遺伝しませんが、性格は遺伝します。貴方も気を付けてください。急勝な人になりがちな病気です。」

確かに父親は、急勝でした。

ダボも父に負けず劣らず、急勝です。

良い処は似ず(真面目)、悪い処(急勝)は似てる。


先月末で、第一印刷(株)は、法人決算73期を終了して、今月から74期に入りました。

急勝なので、決算日の後、1週間あれば出来上がる。

第一回 第一印刷株式会社決算書(昭和28年10月1日〜昭和29年1月31日)

父は、昭和28年から、23年間、経営に関しては、一人で責任を持ち、昭和51年から平成11年まで23年間、ダボと二人で経営に当たって来た。

父が亡くなって27年。

つまり、ダボ一人で経営を27年行ってきたが、23年周期を考えると、4年も過ぎてしまっている。

若い活力の有る人に任せて、新時代の会社経営を託したいと思っている。

2021年10月3日のブログ「新時代(https://www.daiichi-printing.com/blog/10/10022/)」の時は、高市早苗氏は、自民党総裁になれなかったが、今や解散を行って衆議院2/3の議席を持って、新たな日本のリーダーとなっている。


追記:

「新しい酒は、新しい皮袋に入れろ!!」

「畳と精力剤は新しい程良い!!」

 

 

      記 ダボ・イトウ

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