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四国連絡橋 Vol.11-686

今年のゴールデンウィークは何処に行こうか?と、娘と相談している。

友人のTさん、Yさん、Hさんと富山へ行かないか?と誘われたが、娘との旅行を優先して、断念した。

立山の雪の壁を歩いてみたかった。

本場のホタルイカも食べたかった。

今回は、行った事の無い淡路島に行こうと決めている。

新幹線で、新神戸まで行き、レンタカーを借りて、淡路島に渡る。

この時、明石海峡大橋を渡って淡路島に渡る。

泊まる処は、娘が大塚国際美術館(タイルに世界の名画が描かれいている)に行きたいと言うので、大鳴門橋を渡って四国、を予定している。(神戸→鳴門)

本州から四国に架かる橋はあと2本有る。

しまなみ海道(尾道・今治)ルートと、瀬戸大橋(倉敷・坂出)ルートである。


円安基調が改善されない。

1$150円前後である。

円高の最高時は1$75円(2011年10月31日)であったので、現在の円安はドルに対し半分の価値と言っても良いだろう。

為替は、「相対(https://www.daiichi-printing.com/blog/03/12810/)」であるので、一概には言えないが(対ユーロに対しても安値なので)、日本と米国の金利差だけの事ではなく、日本経済のファンダメンタルズの評価かもしれない。

本州と四国に3本もの橋が必要か?四国との橋の建設の論議が有ったのは大正時代からと言われるが、本格的な建設計画は1970年代である。

この時、橋は1本でも良いのでは?との声もあったが、各地の誘致合戦も有り、政治判断と共に3ルート建設が決まった。

諺に、「無い袖は振れない」と言う言葉が有るが、当時は、「袖」が有ったので3ルートが完成した。

150円/$の円安は、国力(袖)が無くなっているのではないか?

半導体(産業のコメ)の世界シェアが50%以上有った時代から、今では10%以下になってしまった。

円高の時は、東京株式市場の時価総額で、アメリカ全土の土地が買えると言う様な話もあったし、ニューヨークやハワイの高層ビルが日本人の所有になったりしたものだ。


昨年のゴールデンウィークには、高知に旅行に行った。

この時は、鉄道(土讃線)で本州から四国に入った。

「土佐日記(https://www.daiichi-printing.com/blog/05/11718/)」

「土佐日記Ⅱ(https://www.daiichi-printing.com/blog/05/11761/)」

橋が出来るまでは、古来から本州と四国は船で繋がっていた。

経済が、上向きの時は、円の価値も高く、3本の連絡橋を作る事も可能であったが、沈滞した時代では、何も出来ない。

しかし、要求は色々と出てくる。

この要望に応えるには、赤字国債に頼らなければならないし、又、国債依存度が高ければ、益々円安状態が進む。

この解決はなかなか難しいぞ。

昨年、四国に行って、黒潮町のDさんに会って来た。

文旦の美味しい時期であった。

Dさんに会って、揚げ饅頭をお土産にもらった。

黒潮町から、その饅頭を食べながら、四万十川まで行った。

今日は【4月10日】、「四万十川の日」である。

 

 

 

        記 ダボ・イトウ

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