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『信義』 VOL.6 – NO.453

第18回 オリンピック競技大会は1964年10月10日(体育の日)に開催され10月24日までの15日間 日本中が興奮した、今から半世紀以上前の話だ。

僕ら世代は、100mを10秒フラットで走ったボブ・ヘイズ選手、柔道で神永選手を破ったアントン・ヘーシンク選手、日紡貝塚チームを引っ張って金メダルに輝いた大松監督、悲運の死を遂げた円谷選手、重量挙げの三宅選手、ボクシングの桜井選手など、まだまだ名前は尽きない。

我が高校の先輩(75期)木内選手もバスケットで出場した。
昭和39年の事である。僕(ダボ・イトウ)が13才で中学に入った年である。中学校は3S精神の城内中学である。

3Sの精神が校章に

よく学んだ(?)校舎

校歌2番の歌いだしで

「篤き信義の友を得て・・・・・・」
と皆で声を合わせて朝礼の時に歌ったものだ。

先々週の土曜日、愛知県半田市からY君が静岡に来た。静岡に住んでいるお母さんの様子伺いで、少し時間があるから話をしようと言う事になった。
彼は中学一年の時 同じクラスで知り合った。クラスが一緒になったのは一年生の時の一年間であったが、お互いにバスケットボール部の仲間で三年間プレーをした。

中学時代のダボ・イトウのシュート!

彼が一年生で一緒になった時、彼の父親が出張先で急逝した。当時は思い寄らなかったが、お父様は30歳代か40歳前半であったと思う。
今考えると本当に若いときに亡くなられた。

Y君とダボ(お互いに年をとった)

その後、彼は卒業後は沼津高専に進学し、旭硝子に入り海外勤務を経験し、数年前にリタイアした。

昔からそうだったが「類は友を呼ぶ」の言葉通り?真面目で几帳面で努力家である。彼はリタイア少し前から英語の習得を始め、今の楽しみは外国人観光客にボランティアとして案内する事を生きがいとしている。
共通の友人として、東京のK君もいるが、彼もまたプロの通訳を目指している。(合格したと情報が入った)
Y君とはそんな関係で50年以上も経っているが、会えば即13歳の時がよみがえる。

校歌ではないが「信義の友」である。無垢な時代だった。「その後の50年の歳月は無垢な白さを汚して来ているのではないか?」と反省をした土曜日だった。
中学時代の同級生だったK島屋の娘 のりちゃんが先日みそまんじゅうとTシャツを届けれくれた。皆同級生で13歳であった僕等は70歳目前の前期高齢者となってしまった。

のりちゃんから貰ったTシャツ

 

 

           記 ダボ・イトウ

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