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神聖化 VOL.8 – NO.572

散骨

6月7日の新聞の朝刊に、A級戦犯の遺骨を太平洋上に散骨したという記事が載っていた。戦争犯罪人の略で戦犯と言われている。A級戦犯として7名、B・C級戦犯として約3,000人が処刑された。

戦争犯罪人という事は、戦争時に犯罪を行った行為に対する裁判である。戦争をするという事は犯罪ではない。ジュネーブ条約で定められた条項の違反者に対しての軍事法廷という事である。

事後法(法の不遡及の原則)で裁く、「人道に対する犯罪」と言うには少し無理が有るが、サンフランシスコ条約の締結によりこの問題は終わり、日本は新たな道を歩み始めて現在がある。

市ヶ谷 東京裁判

僕のブログの内容は、A級戦犯の靖国神社合祀問題や現在の人達がA級(B・C級は名誉回復)に対して評価・・・云々という事と書いているのではない。

 

 

6月7日の新聞記事

新聞の記事は、戦犯7名の遺骨(灰?)を太平洋に散骨したという内容であった。日本の墓地で神聖化されて再軍事化されては困るという当時の判断であった様な事が記してあった。

三ヶ根山にある七士廟

1960年に完成(戦後15年)

愛知県蒲郡に位置する三ヶ根山に、このA級戦犯の遺骨を埋葬した七士廟が、1960年に完成した。処刑された後、火葬場に何人かの人が忍び込み、遺骨を回収したと言われ、この地に廟を建てた。昭和35年の事である、戦後15年後の日本人の気持ちの中にA級戦犯7名に対しての気持ちがその殉国七士碑の建設に表れている。
(※ 毎年例祭が昭和天皇誕生日に行われている。何か意味深な気がするが・・・。)

絶筆(処刑直前)

A級戦犯処刑から70余年。今では三ヶ根山にある殉国七士碑を知っている人は少ない。参拝する人を聞いた事が無い。時代によって人々の心情は何時急激に変化するか?解らないが、アメリカは聖地化させない為に散骨を考えた。日本の再軍事化を恐れた為だと言われているが、近頃では日本の再軍事化を、アメリカが日本独自でやってくれ、と要請のある時代だ。

海洋散骨

樹木葬

近年、墓地・納骨に対しての意識の変化が起こっている。日本人にとっては、今までは墓地とは離れられない観念が有ったが、樹木葬・海洋散骨・霊園と選択を考える時代である。コロナ時代では、通夜・告別式のやり方も大きく変化した。この先、ダボもすぐになる年頃だ。

父の遺した公正証書の最後の記述は、「祖先の祭祀は●●●が行う」と書いてあった。

自分は何と書くのだろう。(恐らくこの記述は入れない。)

 

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

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