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母子手帳 VOL.4 – NO.339

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ・・・」

昭和20年8月15日、昭和天皇の玉音放送で、大東亜戦争は終結し帝国陸軍は解体された。

職業軍人としての道を選んでいた僕の父(伊藤勲)はこれからの生活に夢を持てなくなった。

この「夢を持てなくなった」という話は、父の戦友だった岡山のT氏が来静した時、「貴方のお父さんは、復員する時、保管してあった軍需物資を何一つ持たず、私(T氏)の分まで岡山まで持ってくれた。欲のない素晴らしい人だ。」

と僕に話をしてくれたので、父に

「何で持って帰郷しなかったんだ?」

と聞いた事があり、その返事は、

「これからの生活に夢が持てなくなった」

と言うことを話した。

大日本帝国陸軍少尉
伊藤勲

 

職場を失った訳であるので、父は生活の糧をその当時はまだ必要であった「統制組合」と言う処に勤めた。

父の作った統制組合決算書(昭和20年度)
手書きである。

ここで、母親である(千代子)女性と知り合って結婚した。

昭和23年 結婚

その後、印刷業界に身を置いた父は、出張で沼津の御成橋のたもとに居た、生涯一度だけ体験した占い師に

「貴方は二人の子供を持ちます」と言われ、

「半信半疑だったよ」

と、生前父がよく僕に言っていた。

 

復員後、4年経った昭和24年に兄が生まれ、その後26年に僕が10月14日に生まれた。(先週の土曜日)

手元に僕の「母子手帳」がある。

先程の父の作った決算書は手書き。

この母子手帳も表紙は手書きのイラストであり、印刷業はその後、活版→オフセット印刷→多色化、と成長を遂げた。

あれから僕は66才になった。

僕を抱く母

僕の母子手帳

当時の印刷はこんな風でした。

配給という文字がある

66年も過ぎると、人間も段々と劣えてくる。

手書きから印刷へと成長をした印刷業も、近頃停滞気味である。

僕も劣えてきたかと、少し気になっていたが、朝早く会社に出社したら、会社の皆さんが、誕生日を祝ってディスプレイしてくれてあった。

出社したらサプライズ

ローソクの火を消す

AM10:00からは第2弾としてケーキのプレゼントもあった。

「劣え」なんて言葉は一瞬に消え失せ、活力が甦った。

社員の皆さん、ありがと〜う!

母子手帳を見て、父と母の優しさを思い出し、社員の皆さんの演出に感謝し、幸せ者の自分が、これから「何が出来るか」を問い直させてくれた、先週の土曜日でした。

 

皆さん、ありがとう。

 

           記 ダボ・イトウ

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