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ありがとう VOL.7 – NO.535

イラスト 伊藤 鮎

昭和26年10月14日
(抱かれているのがダボ)

「乳母日傘」と言う言葉がある。

乳母に優しく育てられ、陽が差せば日傘をさして、日陰にして大切に大事に育てるという意味らしい。

昭和26年の今日、ダボ・イトウが生まれた。別に乳母が居た訳ではないが、母親が40歳の時の子供である。兄貴とは2つ違いなので、兄を産んだのは38歳の時で、当時としては本当に珍しい高齢出産であった。父親(勲さん)も子供を持たない人生を過ごすつもりで決めていたが、計らずも父親となったので、二人の子供を大切に優しく育ててくれた。

ダボを抱く父(勲さん)

両親が亡くなって遺品を整理していたら「母子手帳」と「へその緒」が大切に保管されていて、本当に大事に育ててもらったなぁ、と感じた。

ダボの「へその緒」

両親が存命中は「親の心 子知らず」で二人の兄弟は、だいぶ迷惑を掛けたと思うが、両親は特別に何か?強制するのでもなく、自由に勝手な生き方を認めていてくれた。

左がダボ・右が兄貴

左がダボ・右が兄貴(S41.10)

 

兄貴が中学1年の時の学力テストで一番になった時(当時は成績が廊下に貼り出された。)と、中学3年の時、200Mで歴代記録を塗り替えて優勝した時の両親が喜んだ顔は今でも想い出す。

城内中学校

200M走(草薙競技場 S40年)

ダボは2番であった。(2番では駄目なんですか?)
(駄目です)との声が天から聞こえる。

ダボが生まれてから今日で69年が経った。父が亡くなって22年、母が亡くなって15年、誕生日を今でもお墓の中から喜んでくれているだろう。

「均 オメデトウ」

「ありがとう」
お父さん お母さん

 

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

 

 

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