昨日12月24日付の静岡新聞の9面に、特集「学校給食の歴史」と言う掲載があった。
明治22年(1889年)から鶴岡市で始まったと書いてあったので、もう120年も前からの制度である。
やはり時代と共にメニューは変わる。
戦中時代には「すいとん」であり、
戦後直ぐには「ララ給食」と言われていた時代があった。
私は昭和26年生まれで、小学校に入学した年は昭和33年であった。
学校給食の思い出は色々とある。
脱脂粉乳が飲めなくて、泣きながら鼻をつまんで先生に怒られながら飲んでいる友達が居た事や、チーズと称する物を「石鹸」と呼んでいた事はよく覚えている。
この新聞を読んでいて、特に印象に残っている事は、病気で休んでいる友達の家に、先生が「パン」を届ける様に指示していた事だ。
今の制度は知らないけれど、自分の子供が小学校に通っていた時、給食を届けてもらった事が無かったので、多分そんな習慣は無くなってしまったであろう。
時代は良くなって来ているので、色々と変化が有り、コッペパン1個が貴重と感じる時代ではなくなってしまったのであろう。
亡くなった母親が、友達が持って来てくれたコッペパンを焼いてくれた事を覚えている。
時代がどのように変わっても食べ物を大切にする気持ちは忘れない様にしたい。
でも、先生が休んだ生徒の家にパンを届ける様言った時、
「○○君の様子を見てこい!」
と言った教育はすごく正しい様な気がする。
学校も家庭も親密さが少なくなってしまっている事が、何か社会問題を表している様な気がしている。
この想い出の中で、一番脳裏に写っている事は、秘かに想いを寄せていた「啓子ちゃん」の家にパンを届けた事だ。
あれから50年。
啓子ちゃん、どうしているだろうかな〜。
ボクは髪の毛が無くなってしまったよ〜。
記 ダボ・イトウ