HOME > 『老兵』 VOL.6 – NO.455

『老兵』 VOL.6 – NO.455

演説:マッカーサー元帥

昭和26年 トルーマン大統領より朝鮮戦争の指揮方針の違いから職を解かれたGHQのマッカーサー元帥は日本をジーン夫人と息子のアーサー君と共に帰国の途についた。
そして帰国後、議会で演説をした時の『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』は今でも有名なセリフとして残っている。これを機に表舞台から遠ざかった。(その後、ケネディ大統領の公民権運動に対する要請事項など有ったが・・・)

マッカーサー元帥

 

今月の2日~5日にかけて『中日クラウンズゴルフ』が和合コースで開催された。9年前に第51回大会で最小スコア「58」の記録を作った 石川 遼 選手は腰痛悪化の為 残念な事に2日目から棄権となった。

 

僕も10年程前に仕入先の S社長の招待で一度、和合でプレーした事が有る。
名門という事で緊張してあまり覚えていないが、石川選手がワンオンを狙った16番ホールは、左の林を越える球なんて想像も出来なかった事は覚えている。石川選手は日本でも有名なプレーヤーですがツアー優勝は14回(その内、アマ時代1回)である。日本のプロツアー(JPGA)最多勝利は尾崎将司選手の94勝で、「世界の青木」と言われた青木 功 選手の優勝回数は78回(内、国内は70回)である。1980年代の尾崎選手の活躍は、その当時ゴルフとは縁の無かったダボ・イトウもしっかりと覚えている。

 

今回 優勝者:宮本勝昌 選手

この中日クラウンズ第60回大会の初日は尾崎選手・石川選手・アマの金谷選手のペアリングで行われた。石川選手は腰痛の為 2日目から棄権、尾崎選手は予選落ち、アマの金谷選手は最終日を14位の好成績で終えた。
予選を通らなかった尾崎選手に対して「Twitter」の投稿をみて考えさせられた。
その書き込みは
「あのジーさん 予選は毎回通らないのに永久シード権で出場するのは何なんだ!!若手がその一枠を懸命に頑張っているんだから出場しないで欲しい」
と言う文章であった。
尾崎選手の40年前を知っている年代は、やはり尾崎選手のプレーに対して関心をもつ。
しかし時代は『令和』に変わっている。
今の時代には、通じないのだろうか?
そして前述のマッカーサー元帥の議会での演説『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』
僕のポジションも若い人から見ると邪魔かもしれない。時代はもう『令和』である。

 

 

《追記》

このブログを書き終えた日の夜、ユーチューブでこの組のスタートホールの映像が流れていた。紹介毎に3人共 万雷の拍手であった。観客はこのスター達を見に来るのである。(入場料を払って)

令和は多様な価値観を共有する時代であろう。

ダボは死なず!消え去る事もせず!!

 

 

            記 ダボ・イトウ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です