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錯覚 VOL.7 – NO.536

Ubar Eats

 

もう20数年前に読んだ本の事なので、はっきりと正確に覚えている訳ではないが、確か?「読むクスリ」文庫版ではなかったか?と、うすら覚えに記憶している内容に、こんな話があったと思う。

文春文庫(上前淳一郎)

大東亜戦争が終わった昭和21年頃は、非常に物資不足で人々は品物を求めていた時代であった。その中でも日本がアメリカに勝てなかった商品は武器と同じ様、当時の日本のレベルより数段上の「舶来品」と呼ばれる商品で、人々が競って買いたがった時代であったと書いてあった。

当時人気のあった商品

この時代に食品会社が数多く設立された。その中で「宇佐商店」さんと言う会社が非常に儲かったと言う話である。缶詰缶のレーベルを横文字(ローマ字表記)にして売り出したら、非常に売れたと言う内容であった。「宇佐商店」と英語で記したのである。「MADE in USA」人々はアメリカ産商品と錯覚したのだ。

 

 


※ 閑話

弊社もこの当時 会社ができ、先代が主力印刷物としていたのは、缶詰缶のレーベルであった。当時の印刷物が残っているが、やはり時代を表していて面白い。印刷方式は「描き版」「ジンク版」等で、今では考えられない職人技術の結晶であって、アナログ時代の象徴のようなものである。


 

白昼の死角

高校生の時 読んだ高木彬光氏の「白昼の死角」に、この錯覚の事例が色々と書いてあった。民間金融の営業員が融資先の人間と同行した銀行で「支店長」と呼んだ時、融資先の人間はその銀行の支店長と思った。その場で「何だ!!」と返事をした人は、その民間の金融会社の支店長だったとか?面白い話が色々とあった。

 

「消防署の方から参りました」と制服と帽子を被って敬礼をして入って来た販売員を消防署の職員だと錯覚するが、「消防署の方」は消防署の方向と言う意味で言っているだけである。

 

「俺!俺!」と電話に掛けてくる人は単に「俺」と言っているだけで、受け手が息子の「〇〇ちゃん?」と言うと、「そうだよ~」と言われれば錯覚してしまう。

 

近頃よく見かけるウーバーイーツ

先月の初めから静岡市内で「ウーバーイーツ(Ubar Eats)」の配達員の姿をよく見かける様になった。

市内の各店舗の味が自宅で味わえる。コロナ時代の感染防止を考える消費者と若者の働き方の意識の変革で人気があり、双方の利が一致しているみたいであるが、ここにも錯覚が生じている事柄が有ると知った。

各店舗の所在している場所から配達して来ていると思いがちであるが、各店舗のレシピ・材料を使って、セントラルキッチン式な場所からの配達が行われている地域も有ると聞いた。各店舗の信用度で味や価格が保証されるだろうが、立地が依頼者から遠い処だと配達員も大変だ。一ヶ所で配達品の荷受けが出来れば、配達員もその周辺に集まれば効率的である。各店舗〇〇k圏内と言う制約も、中心地点が中央に来れば範囲が広がり商圏が広がる。注文者が各店舗で作っていると思うのは錯覚だけで、別に味に変わりが出る訳でもなく、違法でも何でもない。

その昔、静岡県〇〇〇〇会と言う名を付けた企業が有った。その時も加入者は県が行っている事業と自ら錯覚しただけで、前述の「宇佐商店」と同じ様、企業側に責任はない。

物事を、双方がよく考え、よく理解する。これは何時の時代であっても必要な事だと思う。

 

※ 世の中で一番の錯覚は「自分は正常人で普通レベルである」と思う事である。他人の見方を検証しない 傲慢!

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

 

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