日本の男性の平均寿命は、82才と言われている。
つまり、20年を一区切りとすると、4回です。
その昔は、暦が2廻りすると(還暦)、64年で、長寿の祝いであったが、64年では、20年単位では3回なので、現在の4廻りの寿命より、1回少ない。
20年の一区切りと書いたが、第一回目は、0才〜20才(成人)までです。
幼少期の想い出は少なく、やはり小学校高学年〜成人までとなるだろう。
2区切り目は20才〜40才で、丁度仕事と子供の成長の時で、強引な生活態度の時代です。
3番目は、40才〜60才で、老人になる前の壮年時代。
日本の景気も良く、意外と人生がスムーズに動いていた。
イワナ釣りとマラソン大会、ゴルフが趣味で、遊び中心の反省ない時代。
4ステージは、60才〜80才で、平均寿命までの整理の時代になるだろう。
20年一区切りと書いたのには、訳があります。
丁度、20年前の今日、ダボは脳梗塞を発症した。
深夜の午前3時に、左半身(頭のてっぺんから足先まで)痺れが出た。
それまで健康だと勝手に思っていたので、放蕩な生活でした。
毎晩の如く大酒を、外で飲み、野菜を食べず、好き放題。
ツケが廻った。
左半身に痺れが残ったので、丁度良い機会と思って、アルコールを止めた。
その時から、今日で20年経った。
(2005.6.13 〜 2025.6.13)
日赤の神経内科・主治医のS先生が、20年間診てくれている。
そのS先生から、「大酒を飲んで、煙草を吸いたいだけ吸っても、再発しない人はしない。酒を止めて節制しても、なる人はなる!神のみぞ知る」
「でも、節制した人の方が、リスクは低減する」と、言われている。
この20年を人生の4分の1の時間と考えると、非常に心に残っている年月になっている。
病気に「幸せ」なんて言う事は無いだろうが、ダボにとっては、一つの幸であった。
何故かと言うと、この時をもって、断酒したのである。
それまでは毎晩晩酌をしてから外で又一杯、帰宅して寝酒をもう一杯と言う生活が毎晩でした。
これが酒を止めた途端、家の中に居る事が毎日であり、動かないので、「まるでお地蔵さんだ!」と言うことで、ダボの名前は家では「ジゾー」と呼ばれている。
又、友達が入れ替わった。
病気以前は「お汁粉、あんみつ、おはぎ」を好きな友は一人も居なく、最近は「今日は刺身だ!ホルモンだ!寿司だ!」なんて言っていた友とは距離が付き、「あんみつ殿」ばかり、よく付き合う。
その昔、グリコアーモンドキャラメルには、キャッチコピー「一粒300米」の他に、「一粒で二度美味しい」と言う事も書かれていた。
正しくダボも、人生、この味と同じで、二度楽しい。
飲んでいる時の友人、時間の使い方、外での空気が、全く入れ替わって、真逆となったので、二度楽しい。
こんな話は毎年書いている。
「焼酎ロックで三杯(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/2539/)」
「引退(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/4119/)」
「大生姜(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/6131/)」
「壁(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/9678/)」
※つまり、寄せ場から娑婆での生活の様だ?(反対?)
つまり「グリコ人生」です。
記 ダボ・イトウ